こんにちわ~、じゃにママでーす😁
”晴れどき2”へようこそ🥰
大阪旅行から戻ってきて二週間が過ぎた頃に、名古屋方面で一人暮らしをするMIUティーンからラインが届きました。

まさかのコロナ感染のお知らせでした😱😱
病院から解熱剤も処方してもらったとのことで 身体の方は何とか大丈夫とのことでしたが、自宅待機の医者からの指示があり 買い物にも行けないから少し不安だと。。。💧
というわけで、その日の週末に一週間分の食料を買い込んで名古屋まで行くことになりました!🚙
感染予防対策でMIUティーンには直接会う事はせず、レトルトや冷凍食品等の日持ちのする食料や飲料系を買い込んで玄関前にポイッと置いてきて、ピンポンダッシュで逃げるようにアパートを脱出!💨
ラインでお届のお知らせをして配達完了です(笑)
そんなこんなで、名古屋まで来たということで。。。ついでに名古屋散歩に行くことにしました🐕

やって来たのは・・・ここ👆

名古屋城周辺はワンコも入れるんですよ~🥰
っというわけで、この日は名古屋城散歩をしてきました♪

駐車場のすぐ横の広場には『加藤清正』像がありました!
実を言うと、名古屋城散歩は二回目なのですが 加藤清正像がこんなところにあったなんて気が付きませんでした😅
新しい発見のお陰で、気持ち的には ほぼ新公園散歩に近い感じにさせてもらいました(笑)
私自身、歴史には詳しくなく・・・と言うか、全く知らない😑
なので、こんなにも堂々と加藤清正の銅像が作られるほどなので 名古屋城の城主だったのかと思って調べてみましたが。。。
1607年(慶長12)、家康が尾張一国を与えた四男・松平忠吉が28歳で死去。その後、九男・義直が遺領を継ぎました。
当時の尾張の中心拠点であった清須城は、水害などの危険性が高いため新たに築城の必要ありとの上申が家康になされます。これを受けて家康は、1609年(慶長14)、名古屋台地に城を造るよう命じました。
家康は、公儀普請によって上方周辺の城の整備を進めていました。丹波篠山城、丹波亀山城、伊賀上野城などに続き、名古屋城もまた1610年(慶長15)から公儀普請によって築城が始まります。加藤清正、福島正則など、主に西国や北国の諸大名20名が動員されました。
※名古屋城公式サイトより引用
築城に携わったのみで、城主ではありませんでした😅

あははは!サムライいたね~~~🤣
こ~んなにも大きくて勇ましい姿の銅像を残してくれたお方だから、きっとも~んのすごく頑張ってお城を作られたんだろうね!!!w
《明日に続きます🙇》
超~メジャーな和菓子♪
コメント
MIUティーンちゃんがコロナ感染してしまったとは。。。
それは心配極まりないと思います。
じゃにママさんのご心痛、ご心労は如何ばかりかと お察しするも余りあるものだと思います。
名古屋までのピンポンダッシュの食料の差し入れ、お疲れ様でしたm(__)m
処方された薬が効いて熱が下がったようで、先ずはホッとしましたが
早く体調が落ちついて良くなりますように。
後遺症もなく一日も早い快復を心より祈っています。
ジェイと全身全霊で元気玉を送ります。
MIUティーンちゃん、頑張って~~~○○○○〇
ジェイママさん、いつもありがとうございます~(^^)/
MIUティーンへのお心遣いも嬉しかったです!ありがとうございました♪
今回のコロナ感染は、3月の上旬の出来事でしたがので、現在は順調に回復してお陰様で会社にもすぐに復帰できたようです♪
ジェイちゃんもたっくさんの元気玉をありがとう~~💕